奈良地方裁判所 昭和48年(ワ)148号 判決
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【判旨】
第三無相続分証明書の真否
一<証拠>の各無相続分証明書について、原告らは、その各名義人の名下の押印が真正な印鑑によるものであることは認めながら、いずれもその成立を争つているが、<証拠>ならびに弁論の全趣旨を綜合すると、右無相続分証明書作成の経過は次のとおりである。すなわち、昭和四五年一〇月初め頃、新太郎は浅吉の相続財産の不動産がまだ登記簿上同人の名義のままになつているのを全部自分の所有名義に登記することを司法書士である訴外辰巳靖允に依頼したところ、同人は、浅吉の相続財産は前記浅吉相続人六名の共同相続であるため、これを新太郎単独名義に登記する方法として、正規の遺産協譲による方法と他の相続人については民法九〇三条の特別受益がその者の相続分を超過するため同条二項により相続分がない旨の証明書を作ることによつて事実上相続財産に対する権利を放棄させる方法とがあることを教えたうえ、後者の手続によるのが簡便であるとしてこの方法によることをすすめ、定型文言を印刷した無相続分証明書の用紙を用いて、被相続人および相続人の本籍、氏名のほか、「生計の資本として」「婚姻に際して」という特別受益の理由も適宜同人において記入し、更に、粉家静恵の分以外は相続人の署名押印欄にもそれぞれ各相続人の氏名を記入したうえ、これに各相続人の押印をなして印鑑証明書とともに持参するように指示した。そこで、新太郎は原告ら相続人方を順次訪れ、右各証明書への押印と印鑑証明書の交付を求め、各相続人もこれに応じて、自ら右証明書に印を押捺するか、あるいは新太郎に印鑑を預けて同人が代つて押捺するかして、それぞれ各証明書に調印し、また印鑑証明書もとつて新太郎に交付したので、同人はこれらの書類を辰巳司法書士に差出し、同人が新太郎の申出のとおり、本件物件および出屋敷町字清水四六、四七番の土地について、すでに浅吉名義で所有権保存登記がなされていたものについては同人から新太郎へ相続を原因とする所有権移転登記を、表示登記しかなされていなかつたものについては新太郎名義に所有権保存登記を、それぞれ申請し、その結果前記のとおりいずれも新太郎の単独所有として登記されるに至つたものである。
二右の事実から認められるように、右登記は、新太郎以外の相続人については民法九〇三条二項により特別受益が相続分を超過しているため相続分がないという形をとつてはいるが、その登記申請に添付された無相続分証明書は新太郎の方であらかじめ一律に用意したものにすぎず、実際にそのような特別受益があつたかどうかにかかわりなく、登記申請の添付書類の形式を整えるためのものとして作成されたものである。従つて、各相続人にそのような特別受益があつたという事実にもとづいて作成されたものではないし、本件証拠上も各相続人に相続分を超過する特別受益があつたとは認められないから、右各無相続証明書の記載内容は事実に符合するものとはいえない。しかし、その内容のとおりの特別受益を受けていないのに、このような無相続分証明書を添付して相続登記をなすことは、正規の相続放棄や遺産分割協議の手続によらないで共同相続人の一部の者のみに相続財産を取得させる便法として、しばしば行われていることは被告の主張するとおりであり、無相続分証明書の内容がたとえ事実に反するものであつたとしても、その相続人がその証明書の文言の趣旨を認識したうえで、自らの意思に、よつて作成したものであれば、それは自分の相続分について一切相続財産の配分を受けなくてもよいという意思の表示と解することができるから、そのような形で相続人全員の間で意思の合致が認められれば遺産分割協議が成立したものと見ることができるし、またその相続人が単独行為としてなしたものであれば共有持分の放棄と見ることもできるので、右のような無相続分証明書による方法も、相続人のうちの一部の者に相続財産を取得させるための遺産分割協議にかわる方法として、有効なものと考えられる。
しかし、右のような無相続分証明書によつて持分の放棄あるいは遺産分割協議が有効に成立したといい得るのは、もちろんその証明書が相続人のそのような意思を表示したと認められるものでなければならないのであり、もしそのような意思が欠けているならば、持分放棄や分割協議の効力を認めることができないことはいうまでもない。本件の場合、浅吉相続人六名のうち、新太郎を除く原告ら相続人五名についてはいずれも前記各無相続分証明書が作成されていて、一応新太郎のみが相続財産全部を単独取得することとする分割協議が成立した形にはなつているが、問題はそれらの証明書が各相続人の真意にもとづくものかどうかということになる。
三ところで、原告ら相続人は、右無相続分証明書を作成するにあたり、前述のように自ら押印するか、あるいは新太郎に印鑑を貸与するかして、それぞれいわゆる実印すなわち登録印鑑を押捺しているのであるが、<証拠>によると、それは、新太郎から相続財産のうちの四六、四七番の土地が平城開発の造成する団地の一部になるので、同会社に売却するために必要だから判を貸してくれ、と依頼され、そのための書類であるというつもりで印を押すことを承知したもので、遺産分割や相続分の問題ということは全然知らなかつたものであり、また、原告過部カズエの場合は、印鑑証明書と印鑑を新太郎が持ち帰り、あとで印鑑だけを返してきたもので、証明書自体も、それに印を押すところも見ておらず、また、原告粉家静恵および同江端ミツエの場合は印鑑を貸すとその場で新太郎が書類に押したが、同原告らはその書類の内容までは見ていなかつたもので、いずれも新太郎の言葉を信用し、証明書の内容はたしかめないで印を押したり、貸したりしたものであるという趣旨を述べている。旧原告駿河コマおよび原告黒川アサノについては直接本人の供述は得られないが、同じ様な状況で証明書に押印したものであることは、他の三名の原告らの供述と弁論の全趣旨によつて推認される。原告らのように法律知識に欠け、知的水準の程度も高い方とはいえない者にとつて、このような文書についてその内容を子細に見ることもしないで押印することはよくあることであるから、その際新太郎がその印を借りる目的や証明書の意味をどのように説明したかにその文書の真否がかかることになるが、当の新太郎はすでに死亡しているため、そのときの新太郎の説明の仕方については右原告ら各本人訊問の結果のほかにはこれを知り得る直接の証拠はない。しかし、浅吉が死亡したのは昭和三六年三月二日であり、それ以来一〇年近くも相続登記をなさずに放置してあつた本件物件と四六、四七番の土地について、新太郎がこのときになつて相続登記をしようとした動機はやはり四六、四七番の土地を平城開発に売却するためであつたと見なければならず、それ以外に新太郎がこの時期に相続登記しようとした動機や理由は見あたらない。<証拠>によつて認められるように、たしかに新太郎と平城開発間の右土地についての売買契約書の日付は昭和四六年一月二〇日となつているが、このような土地の売買が急に成立するとは考えられず、殊に住宅団地の造成のような場合には相当以前から計画や買収交渉など準備作業が先行していた筈であり、新太郎も当時旧明治村の役員の一人として土地買収に協力していたというのであるから、平城開発の団地計画を知つた時期はもつと早かつたものと思われるので、正式の売買契約が行われたのは昭和四六年になつてからであつたとしても、新太郎がその買収に備えて昭和四五年一〇月に自己名義に登記をしておこうと考えたとしても格別不合理なところはない。<証拠>のこの点に関する部分も右認定を左右するに足るものではない。
新太郎としては、そのとき売却の必要があるのは四六、四七番の土地だけではあつたが、いわゆる跡取りの長男として当然浅吉の遺産は全部自分が継ぐものと考えていたところから、平城開発への売却のついでに、そのほかの相続財産についても自己名義に登記しようと考えたものと認められるが、直接の理由が平城開発への売却のことであつたがために、原告ら相続人への説明も、もつぱらそのことだけを言い、それ以外の相続財産全部を自分が取得することまでは言わなかつたということは十分考えられるところであり、その意味で、四六、四七番の土地を平城開発に売却することしか話がなかつたという原告らの供述も首肯し得るものということができる。おそらく、新太郎としては、前述のように当然自分が相続財産全部を単独収得できるつもりでおり、また原告ら相続人もそのことを了解してくれているものと独り合点したか、あるいは全部自己名義に登記することまで話せばたやすく印を押してくれないかもしれないという懸念からか、相続の問題については詳しく触れず、ただ平城開発に対する四六、四七番の土地の売却の必要だけを説明して無相続分証明書への押印を求めたものと思われる。従つて、原告ら相続人もその言葉を信じて不用意に無相続分証明書に押印したものと認められ、<証拠>も右認定を覆すものではなく、ほかに右認定を左右するに足る証拠はない。
前述のように、無相続分証明書による相続登記は、正規の分割協議にかわる便法として多く用いられるところではあるが、便法であるだけに、一面では、相続財産を独占しようとする意図のもとに、他の相続人の無知に乗じて、十分にその趣旨を説明せずに安易に無相続分証明書を作成させ、自己名義に登記するという弊害もしばしば見られるところであり、そのため後日紛争の原因を生ずることも少くなく、殊に、本件のように、自己名義に登記しようとする者の方であらかじめ定型的な証明書を一方的に用意し、一律に押印を求めるような方法をとつた場合には、形式的に無相続分証明書がそろつているというだけで持分の放棄や分割協議の成立を安易に認めるべきではなく、その相続人らが右証明書によつて真実そのような意思を表示したものかどうか慎重な判断が必要である。本件の場合、右に述べたように、各無相続分証明書は、原告ら相続人の作成文書として真正に成立したものと一応認められるにしても、新太郎においてその証明書の趣旨と意味について十分に説明していなかつたものと考えられるので、原告ら相続人らはいずれもその記載内容どおりの意味を理解し、そのとおりの意思を有していたものとは認め難く、単に四六、四七番の土地の売却のための書類と考えて押印したものと認められるので、右無相続分証明書が作成されていることから、ただちに原告ら相続人が持分を全面的に放棄し、あるいは遺産分割協議をなしたものと見ることはできない。
第四被告の抗弁の成否
一以上認定のとおり、原告ら各相続人の無相続分証明書は、被告の主張するような本件物件についての共有持分の放棄あるいは新太郎のみが相続財産を取得することを内容とする遺産分割協議の意思を表示したものと認められないので、これによつて持分の放棄あるいは遺産分割協議が成立したとする被告の抗弁は否定せざるを得ない。
(高橋史朗)